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小説家吉村昭(平成18年7月没)のファンで、その作品の9割以上を読んでいる。 ところが、初期の長編名作『戦艦武蔵』を読み漏らしていた。 先の日曜日に時間ができたので、一気に読み上げた。 やはり吉村昭の作品は重量感があり、読後の充実感には特別なものがある。 小説=フィクションとはいうものの、徹底した資史料と現地踏査、多くの取材に裏付けられた作品は、その真実性において非常に濃密なものがある。 だからこそ、素直にその作品世界に陶酔することができるのである。 さて、今回読んだ『戦艦武蔵』の中で、経営の視点から、なかなか考えさせられるシーンがあったので紹介したい。 ************ 武蔵は、三菱重工業株式会社長崎造船所で建造され、2年8か月をかけて昭和15年に進水した。 進水は造船所船台における最終工程で、艦を滑らせ海に安全に浮かべるというものである。 これを担当したのが、進水研究担当の設計技師浜田鉅(たけし)と工作技師大宮丈七だった。 学究型の若い浜田と進水経験豊かな老練な大宮は、当然ながら武蔵のような巨大艦船を進水させた経験はなかった。 工作技師の大宮が苦しんだのは、世界最大の幅4メートルもある進水台を造ることだった。 進水台は重い船体が滑っていく長い台なので、強靭な松材が使われ、幅4メートルにするため幅44センチの松の角材を横に9本並べ、その横腹を直径5.5センチの鉄のボルトで串刺しにして固着させなければならない。 ところが、特に優秀な穴あけ専門の熟練工にやらせてみても、穴はまっすぐにはあかなかった。 そこで、大宮は考えた。 熟練工でも手に負えない作業なら、素人工を訓練してやらせても同じことではないかと。 他の現場で熟練工の手を欲しがっており、単純な穴あけ作業に彼らをしばりつけておくのは勿体ない。 「工夫しながらやってみろ。やってできないことはないんだ」 そう言って、素人工を励ました。 素人工たちは、毎日根気よく穴あけに没頭したが、単純極まりない仕事に飽いて、他の職場に移りたいと申し出る者もいた。 「よし、変えてやる。お前みたいな奴は、おれの所では必要ないんだ」 大宮は、そんな男たちを他の職場へ追い払った。 「この穴あけは、熟練工でさえできなかった仕事なんだ。お前たちは素人工だ。もし、これができたら立派な熟練工の資格をつかむことができるんだ。もしやる気がないなら、他の職場へ移れ。熟練工になりたい奴だけ、ここに残るんだ」 そう言って、眼をいからせて督励した。 1年目が過ぎた。 大宮の見込み通り素人工の大半は、穴あけを根気よくつづけて、1年6ヶ月が経った頃には、穴も稀にはまっすぐに進むようになった。 そして、満2年を迎えた頃には、素人工全員が、100パーセント正確な穴がうがてるようになった。 ************ 巨大な戦艦の建造には、戦時中という特殊な時代背景があった。 しかしながら、利益追求を目的とする民間企業が取り組んだこの事実は、今の時代であっても、大いに考えさせられるものがある。 何不自由なく育った今の若者は、こんなモノづくりの現場をどう捉えるのだろうか。 そして、そんな若者を部下に持つ、現場のベテランたちは何を思うのだろうか。 2019.7.4 |