■ 新種のクワガタ2024.3.17


池田は小学校の夏休みに、母の田舎で初めて捕ったクワガタに夢中になった。
学校の図書室では、クワガタのことを図鑑や昆虫記で無心で調べた。
クラスメートからはクワガタ狂いと揶揄されたが、クワガタ博士と一目置く教師も多かった。

大学は銀行員の父の勧めで経済学部に進んだが、クワガタが忘れられず昆虫学にのめり込んだ。
大学院に進み、昆虫学会の権威である教授の下で研究に邁進した。

池田の研究は学会で認められ、日本のファーブルといわれるようになった。
そのことは新種のクワガタを発見したことで決定づけられた。
二十代で准教授となり、三十二歳の若さで教授に昇格した。
昆虫学会に限らず、象牙の塔の世界では異例のことだった。

池田は学会ばかりか、全国の小学校をはじめ各方面から講演に引っ張りだこになった。
マスコミも騒ぎ出し、テレビは彼の特集番組を企画した。
そんな中、週刊誌が池田の研究に水を差した。

池田が発見したという新種のクワガタは、実は、彼の研究室の同僚が発見したものというのだ。
同僚は、池田と一緒に山に入ったときに、足を滑らせ崖下に急落し死んでいる。
新種発見の論文発表前のことだった。

週刊誌が騒ぎ立てたこともあり、一転、日本のファーブルは疑惑の人となってしまった。
指導教授は、教え子が注目されたことに嫉妬を覚えていたせいもあり、マスコミの取材では池田の潔白に口を濁した。
それが疑惑を助長し、池田は大学でいる場所をなくした。

確かに、池田は同僚と二人でクワガタを追って何度も山に入っていた。
週刊誌は「疑惑」と断わってはいるものの、読者は池田が発見を横取りした犯人と決めつけた。
世間は他人の成功を妬み、不幸なら喜ぶものだ。

池田が潔白であることは、発見現場を通りかかった山の管理人が証言してくれた。
マスコミはそのことを小さく報じただけだった。

彼は喧騒に疲れて大学を辞め、母の田舎に逃れた。
祖父母が亡くなり空家になっていたが、其処を拠点に自分の思い通りに生きていくことにしたのである。

米はどうにか自分が食べるだけは作った。
野菜は近所の農家が分けてくれ、村の猟師が鹿や猪の肉を持ってきてくれることもあった。
食うことだけは困らなかった。

大学の給料はなくなったが、これまで出版した本が現金収入をもたらしてくれた。
皮肉にも、あの騒ぎが追い風になり増刷を重ねていたのだ。

池田は純粋に研究を楽しんでいた。
初めてクワガタを捕った大きな自然が、研究室であり癒しの場になった。
いまは発表する場のない論文ではあるが、池田はいつかその機会がくると信じて書き続けている。

近所の子供たちが、池田の家に集まってくる。
そして、たくさんのクワガタに囲まれて聞く池田の話に夢中になった。
村の小学校や公民館では、依頼に応じ講演をしている。
教育委員会からは、小中学校の非常勤講師をやってくれないかとの話もきている。

2018.9.23




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