■ 花の首飾り2024.3.17


定年間近の池田は心に疲れを覚えると、この河川敷にやってくるのが常だった。
ここには春から夏にかけてクローバーの花が盛んになる。
池田はその花を摘み首飾りを夢中で編んだ。
編めば優子に会うことができた。

優子は二歳下の幼なじみだった。
ふたりとも一人っ子だったが、家が近く親同士の仲が良かったこともあり、兄妹(きょうだい)のように育った。
河川敷では首飾りの長さを競い、お互いの首に掛け合った。
高校まではいつも一緒だった。
池田が都会の大学生になってからも、帰省すれば優子が優しい笑顔で迎えてくれた。

優子は地元の短大に進学し念願の保母になると、二人が通った保育園に勤めるようになった。
幸せのシャワーを全身に浴び、人生の喜楽の湯船に身を泳がせた。
そんな優子に癌の魔手が忍び寄ったのは二十二歳のときだった。
右の肺に見つかったその魔手は、あっという間に全身を巡った。

池田は残り少ない優子の人生に寄り添っていてやりたいと、都会の銀行を辞め地元の会社に転職した。
毎日、出勤前と退社後には病院に顔を出し、休日になれば終日優子の側にいた。
優子は、池田がクローバーの首飾りを編んで持っていくと、嬉しそうに掛けた。

「お兄ちゃん、わたしお兄ちゃんのお嫁さんになると決めていたんだ。そして、たくさん赤ちゃんを産みたかったの」
優子はそう言うと精一杯の笑顔を見せた。
優子が逝ったのは、誕生祝いのケーキに二十四本のローソクを立て、いっしょに火をつけた十日後のことだった。

それから三十年余り、二人の両親は既に亡く、池田はきょうまで独り身を通してきた。
若い時は、周囲の者はさかんに縁談話を持ってきたが、それを頑なに拒む池田の純情を嗤い、やがて去っていった。

池田はそれでいいと思っていた。
だれがどう言おうが自分の人生だと。
そして今、優子のことを書き遺すため、原稿用紙に向っている。

2018.9.30




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