■ 綿帽子2024.3.17


この春に商社を定年退職した池田は、気ままな毎日である。
街外れの新興住宅地にある自宅周辺にはまだ林が残っており、毎朝六時に起きて散歩するのが日課になった。

たっぷり二時間も歩くと大汗をかくが、それをシャワーで流せば心身ともにスッキリとして気分は最高だった。
勤めていた頃と同じトースト一枚とベーコンエッグにコーヒーの朝食が、愛おしいほど旨かった。

ベーコンエッグを焼く妻の景子も、綿帽子の花嫁姿は愛おしかった。
自分が優しく包みこんでやらねばと思わずにはいられなかった。
それが儚いたんぽぽの綿帽子と知るには、一年も要しなかった。

景子が被る純白の綿帽子を、自分の色に染めるなどということは、風に舞うたんぽぽの綿帽子を追いかけるようなものだった。
二人の間には結婚したころには気付かなかった溝があり、それは深くなるばかりだった。

池田は散歩の途中、頬を撫ぜるたんぽぽの綿帽子の群れに目がとられ、空しさが心をよぎるのだった。
取り返しのつかない、過ぎ去ってしまった人生。
残された大切な人生。

このままでいい筈がないと、焦りを覚えるばかりだった。

2018.9.30




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