■ 小説・仲間であるために−4−2024.3.17


これまでに「仲間であるために」シリーズとして、@からBまでを思いつくままに書いてきた。
今回も気まぐれに、そのCを書いてみたいと思う。
前々回Aと前回Bでは、仲間付き合いを止めた奴がいることに触れた。
その件について詳しく振り返り、きちんと整理してみることにした。

「小説・仲間であるために」

Hとは高校2年のときに同じクラスになり、以来友だち付き合いをしてきたが、ただ楽しいばかりではなかった。
嫌なことや腹立たしいことも数多くあったのだ。
それらは普通、時の流れに乗って忘れ去って行くものだろう。
ところが私は忘れ切ることなく、ちょっとしたときに想い起こされ、未だに不愉快な気分にさせられることがある。

(高校時代)

@誕生日プレゼント 
高校3年のときだった。
11月生まれのHのために誕生日プレゼントを贈った。
全紙大(横70cm縦136cm)の画用紙に描いた水彩画(当時人気の漫画主人公)である。
仕上げるのに五日ほどかけた、我ながら上出来の作品だった。
ところが、1月生まれの私がお返しの誕生祝いに貰ったのはまさかのマフラーで、Hの姉が編んだものだと言う。
私はそのマフラーを一度巻いただけで終わった。

A貸した本

加藤諦三著「俺には俺の生き方がある」に出会ったのは、1969年8月、高校3年17歳のときである。
この本がその後の自分の人生を決定づけた。
それほど大切な本をHに貸してしまったのがいけなかった。
Hは借りたレコードでも本でも、平気で又貸ししてしまう奴だったのだ。
何度催促しても戻ってはこなかったし、ゴメンの一言もなかった。
私はどうしても手元に置きたくて、2016年64歳になってAmazonで古本を購入した。

(学生時代)

B東北旅行の車
大学2年の夏休みにHと二人で、東北地方をドライブ旅行したことがある。
中古の軽ワゴン車をHが見つけてきた。
代金9万円は全額私が払ったから、当然その車は私のものである。
Hは一度私にハンドル持たせただけで、以後は自分の車であるかのように乗り回して平気な顔でいた。
挙句の果てに、この車までも同じ大学の友人に又貸しし、しかもその友人は事故って車を駄目にしてしまったのである。
その当時9万円の車は、今なら安く見積もっても25〜45万円はするだろう。
Hからも友人からも、弁償どころかゴメンの一言もなく、今日まで来ている。
本やレコードばかりか、私がバイトで貯めた9万円で買った車までも、断りなしに又貸ししてパーにしてしまう。
それにもかかわらず「あはは・・・」で済ませ、1円も出さずに平気の平左でいる。
人間としてどうかしている。

Cプレゼントした12弦ギター

これも学生時代のことである。
Hに12弦のフォークギターをプレゼントしたことがある。
私には2万円の出費は痛いものだった。
何でプレゼントしたのかは覚えてないが、その当時はフォークブームで、Hは同じ大学仲間のフォークグループで活動していた。
ギターが弾けない私は、そんなHを応援したかったのだと思う。
Hの家へ行った時だった。
私がその12弦ギターを見つけると、Hは私の手から取り上げてしまい触らせもしなかった。
東北旅行した車と同じである。
他人(ひと)のものなら又貸ししようが駄目にしようが平気で、自分のものなら他人(ひと)に触らせもしない。
Hという男はそんな奴なのである。

(社会人時代)

D所得税確定申告
私は税理士事務所を開業してから、Hの所得税確定申告を30年余り、無料で手続きしてきている。
Hには給料の他に地代収入や臨時収入があり、毎年所得税申告義務がある。
私はHを仲間だからと思って、請求書を出さずにいたのだ。
なのにHは「税金安くしろ」とは言っても、「ありがとう」とは一度も言ったことがない。
申告書の控を持っていっても、「フン!なんだそんなもの」と言わんばかりで、忌わしいものでも見るような顔をして受け取らない。
申告手数料は、どんなに安く見積もっても1回3万円、したがって累積で100万円を下回ることはない。
私はプロとして=ビジネスとして、申告書を作成し提出してきているのである。
そんなことも弁(わきま)えることの出来ないHは、社会人として人間として大きな欠陥があるとしか思えない。
始末に悪い奴だ。

Eサッポロ会

「サッポロ会」とは、サッポロビールが販促活動の一環として会員(有料)を募り、毎月1回ホテルなどを会場にして自社のビールを飲ませるもので、正式には「サッポロビール会」という。
Hはいつの頃からか、Bの東北旅行の車を駄目にした奴と一緒に、「サッポロ会」に入っていた。
ところが、車を駄目にした奴が脱会したので私を会に誘ってきたのだ。
その当時私は肝機能が悪く、医者からアルコールを控えるように言われていたし、何とか節酒しなければと努力していた。
もちろん、そのことをHには会う度に話していた。
それにも拘らずHは「サッポロ会に入れ」と誘ってくるのだ。
ビールには目がない私にとって、悪魔のささやきを聞かされるようなもので辛かった。
誘惑に負けた私は入会してしまった。
しばらくするとHはもう一人、自分と同じ大学時代の友人を誘った。
この男がまたH同様、社会人として欠陥のある奴で、これまでに一度しか会ったことない私を平気で「オイ、カミオ」と呼び捨てするのだった。
たとえ肝機能が万全でも、こんな奴らと一緒に飲む酒は不味くて悪酔いするだけだ。
私は1年もせず脱会した。

Fバーベキューと蕎麦会

私には高校のクラスメート4人の仲間がいて、社会人になってからも付き合いが続いている。
仲間の一人が毎年、旧盆になるとバーベキューに年末になると蕎麦会にと、自宅を開放し誘ってくれた。
いつものことながら、買い出しの支払いは私が立て替え、清算はその日のうちに済ませるのが暗黙のルールだった。
ところがHだけは、「今財布を持ってない」「あとで嫁が来てから」などと言って、気持ちよくその場で払ったことがないのである。
数日後顔を合わせても、「また今度でいいやろ」といって、結局払わず終いにされたことが2度もある。
Hは、東北旅行の車のことや確定申告のことでも分かるように、本質的に「金に汚い」奴なのだ。

G仲間が亡くなったとき

気のいい仲間が、毎年バーベキューをやろうと自宅に誘ってくれたことは、Fで書いた通りである。
その仲間がバーベキューをしたその日の夜亡くなった。
65歳だった。
私は翌朝知らせを受け、直ぐにお悔みに駆け付けた。
Hにもお悔みに行こうと電話したが、「そこまでせんでいいやろ」とつれなく悔やみの一言もない。
さらに明日通夜だと伝えると、「お盆で孫やらみんなが集まるし俺行けんなあ」と言って返す。
Hは通夜に出たし葬式にも顔を見せたが、その人間的本質を知った私はこんな奴は仲間でも何でもないと確信した。

H仲間の親父が亡くなったとき

仲間の親父さんが亡くなったことを新聞の「おくやみ欄」で知り、私は通夜に駆けつけた。
Hは通夜にも葬式にも行かなかったらしい。
Hは「何故知らせてくれなかった」と私を責めた。
私はGで書いたように、Hの本性を知っていたし仲間とも思わなくなっていたので、誘う気にならなかっただけのことである。

自分が上だと思っていたとしたら大間違いだ。
自分がしてやっていると思っていたとしたら大間違いだ。
自分が偉いと思っていたとしたら大間違いだ。
自分は何でも出来ると思っていたとしたら大間違いだ。
自分にはミスがないと思っていたとしたら大間違いだ。
自分中心に世の中が回っていると思ったら大間違いだ。
ましてや他人(ひと)を軽く見下げていたとしたら大馬鹿だ。

仲間が亡くなったG以来、私たちは毎年旧盆にはその仲間の墓参りに行っているし、バーベキューや芋煮会・酒蔵巡り・温泉・歩く会などを楽しんでいる。
ただし「Hも一緒に」とは、仲間の誰ひとり言ったことはない。

2023.12.21




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