■ 覆水盆に返らず2024.5.16


仕事をしていて、名刺大の重要な書類を、うっかりとシュレッダーに掛けてしまった。
日頃書類をシュレッダーするときには、本当に大丈夫かどうか、慎重過ぎるほどなのに、どうしたものか簡単にやってしまったのである。

魔がさしたとしか思えない。
悪魔が自分の手を、シュレッダー向かわせたとしか思えない。
そんな自分を引き止める冷静さを、悪魔が奪ったとしか考えられない。
悪魔が悪かろうが、自分が悪かろうが、あの書類がなくなってしまったのは事実である。どんなに喚こうが、嘆こうが、反省しようが、夢だと思おうが、嘘だと思おうが、「覆水盆に返らず」である。
ビデオテープを巻き戻すようなわけにはいかない。

迂闊な自分に腹が立つやら、情けないやら、挙句にシュレッダーなどという機械があるからいけないと、それを考えたメーカーや販売店を怨んでもみた。
しかし、買ったときにはこれで文書の廃棄が完璧だと、喜んだのは自分だから、そんな自分を悔やんでもどうなるものでもない。
あの書類がないとどうしたらいいものかと、焦るばかりである。

書類を預かった取引先や、その提出先である役所に、どんな言い訳をすれば通るのか、暗澹たる思いが頭を巡る。
自分をどんなに責めようが、取引先にどんなに謝ろうが、役所をどんなに説得しようが、あの書類がないものはないのである。

頭を丸坊主にしようが、土下座しようが、座禅を組もうが、ないものはないのである。
酒を止めようが、断食をしようが、滝に打たれようが、ないものは戻ってこないのである。
お坊さんに拝んでもらおうが、神主さんにお祓いをしてもらおうが、名高い祈祷師に祈祷してもらおうが、ないものは還ってこないのである。
「神も仏もあるものか」のフレーズは、こんな場合は使わないはずだ。
「お前が悪い」だけのことである。

ぼんやりと車を運転していて、人を轢き殺してしまったようなものである。
悪いのは自分である。
どんな言いわけも、どんな同情も、どんな保険金も、命を還してはくれない。
どんなに注意して運転すればよかったと反省しても、どんなに車に乗らなければよかったと思っても、どんなに車を買わなければよかったと責めても、どんなに運転免許を取らなければよかったと後悔しても、命は戻ってきてはくれない。

そんなことを思えば、シュレッダーしてしまった書類ぐらい何でもないと自分に言い聞かせても、あの書類は還ってこない。
酒を飲もうが、マージャンを打とうが、デイトをしようが、失敗を忘れることはできない。
あの書類がないという事実は打ち消しようがない。
「現実から逃げるな」といったってどうすればいいのだ。
「自分の責任でなんとかしろ」といったってどうすればいいのだ。
「なんとかなるさ」といったってどうすればいいのだ。
どうすればいいのだといっても、どうしようもないではないか。
どうしようもないのだから、諦めが肝心ではないか。
諦めたからといって、何の解決にもならないではないか。
解決にならないからといって、どうすればいいのだ。

いやそれにしても、よくもまあ、これだけ繰り言を並べたものだ。
その情けなさに自分が悲しい。
悲しさ余って自分が愛おしいくらいのものだ。
どんなに愛おしくても途方にくれるだけだ。

やり場のない目線を、窓から見える黒い桜の枝木に泳がせたときだった。
「復元すればいいじゃないですか」
女子職員があっさりといってのけた。
「うちのシュレッダーは、米粒のようにカットするわけではないので、なんとかなりますよ」
彼女はボックスの中に手を入れ、そばのように切り刻まれてしまった紙片を、慎重に仕分けし始めた。

「あった・・・・・・。またあった・・・・・・。ほらこれも・・・・・・」
三十分もすると十枚ほどを見つけ出し、それを台紙に貼りつけ始めた。
彼女が人間国宝になった職人に見えた。
「あら、一枚足らないようだわ」
首を傾げる動作がいじらしく可愛かった。

「ちょっと待てよ。ボックスの外にもあるぞ」
私は散らかった紙片に目をやると、それらしい一片を見つけた。
「これじゃあないか」
嬉々として彼女に渡した。
「そうね、ぴったりよ」
私は万歳三唱を叫ぶと、彼女に抱きつき思わずキスをしてしまった。

新婚の彼女は、それ以後ひと言も口をきいてくれていない。

2013.3.17




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