■ 女・文学2024.5.16


Kさん、こんばんわ。
無性に人恋しくて、パソコンを開きました。
さばの味噌煮缶を空け、缶ビールを飲んでおります。
学生時代を懐かしんでみましたが、悪酔いが心配なだけです。

最近、A女が気になってしょうがないです。
いわゆる、惚れたというのではありません。
女としてではなく、仕事や自己研鑽に励む姿に、人間として好意を感じているのです。
その結果、女としても意識してしまうのです。

やはり、惚れたのでしょうか。
どうにかなりたいと、妄想したりもします。
だからといってそうなれば、その後が空しくなるだけです。
現実は、どうなるものでもありません。

これが戦前の作家なら、ちょっかいを出して、そのことを文学という魔物に傅き、小説にしたのでしょうな。
島崎藤村、川端康成、太宰治、壇一雄……
今の時代では、とても通用しないことです。

文学とは何でしょうか。
人間の欲望、本性、本質をいかにきれいごととして、文章表現することでしょうか。
よい文学とは、内容に新規性があり、面白いことなのか。
それとも、文章表現としての技術的斬新性、高尚性か。

私には、現実と妄想を取り違え、正当化したものが文学と感じます。
だからこそ、大作家たちは、許されぬ女に手を出した。
そこに、文学のためという焦りと甘えが見え隠れする。
              
文学は、決して上等なものではなく、本性むき出しの、下品なものでしかない。
でも、この下品さが人間そのものなのですね。
だから、文学などというものは、どうしょうもないものなのかもしれません。

長いメールになってしまいました。
酔っ払いの戯言、失礼しました。

2011.10.19




CGI-design