■ 仕事依頼に驚く2024.6.26


事務所をクローズしたにも拘らず、未だに仕事の依頼が来ることがあり驚く。
「3月末日をもってクローズします。長い間有難うございました」
今年の年賀状で案内しているのにと、首を傾げざるを得ない。
依頼人は、年賀状が来たことを確認するだけで、メッセージを読んでいないことが解る。
年賀状は、決まりきった文面を印刷したものが殆どである。
だから、私のようにメッセージを書いても、右左(みぎひだり)なのであろう。

依頼を断ると、「そこを何とか」と言って、こちらの都合を無視してくるから始末に悪い。
困ったものだ。
長電話のやりとりで、穏やかだった気持ちが波立ち、その日は一日中不愉快な思いを強いられる。
そっとしておいて欲しい。

年賀状を出さない人が増えてきているようだ。
私が長い間やり取りしていた人も、「今年をもって止めます」と書いてくるのが珍しくなくなった。
確かに、年賀状は出す手間が面倒だし、もらっても決まりきった挨拶文は読む気にもならない。
ただ誰から届いたかを確認するだけで、後はお年玉くじの当選発表を待つだけである。
だから「もうやめた」となるのだろう。
でも、私はそんな年賀状でも、出したいし受け取りたいと思っている。

何十年も会っていない友人知人の消息が分かるし、「元気ですか」の一言でも添え書きがあるとぬくもりを感じていいものだ。
だから、私は通り一遍の挨拶分は書かず、その時その年の思いをメッセージすることにしている。
そして一言、手書きを添えるようにしている。
因みに、今年は年賀状で事務所クローズを知った友人から、電話があった。
県外に住むその男も、年賀状には必ず手書きで添え書きをしてくる。

私が税理士試験の受験勉強をしていたとき、経理学校で簿記会計を教えていただいた先生は、とても熱心で人気があった。
先生のご自宅へ、受験仲間と3人で訪れたことがある。
お昼に、近所の店でうな重をごちそうになり、そのあと皆でパチンコを弾いたのが楽しかった。
帰りには、蔵書の中から簿記の本を1冊ずつ、持たせてくれた。
それ以来、先生とは年賀状を40年ほど交換してきた。
ところが5,6年前、先生からの年賀状が来ないので、「あんなに几帳面な方なのにどうしたのかな」と気にしていると、奥様からの葉書が届き亡くなられたことを知った。
亡くなられたのは、今の私の年齢72歳くらいの筈である。
こんなことがあるから、年賀状は大切にしたいと確信した次第である。

3月に入ってから、ある地域の総合経済団体から「今年も例年通りセミナーを」、という確認の電話があった。
そのセミナーは、毎年6月に定例として開催されており、20年以上続けてきたものである。
年賀状で事務所クローズのことを周知したつもりだが、誰もちゃんと読んでいなかったことが解る。
担当者にしてみれば、新年度の計画として立案決済を済ませてしまったのであろう。
長年のお付き合いでもあることから、不本意ながら受けざるを得なかった。
今月(6月)4日間に亘って講師を務めたが、フルマラソンを走り切った後に、「もうひとっ走り」したようで、とても辛かったし満足のいくものではなかった。

さらに、同じような電話が先日かかってきた。
編み物教室を幅広く展開している女性からである。
私は、そこがお免状を出している団体の委員長(?)を、名義貸しみたいなものだが長い間務めている。
それを今年もお願いしたいので、「近々事務所に伺います」とのことである。
この女性も、年賀状のメッセージなど読みもしていないことが解る。
その旨を伝えると、お決まりの一言が返ってきた。
「あら〜まだ若いのに」
うんざりするし、がっかりして、あきれてしまう。
さらに、悪びれた様子もなく明るく言ってくる。
「それなら自宅の方に伺います」
その女性は、何が何でも受けさせることを前提にしか考えていないようで、困ったものである。
自己中心的で思い込みの激しい人は、扱いにくくストレッサーでしかない。
引き受けるのは、これで最後にしたいと、決意(?)している。

2024.6.26




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