事務所をクローズしたにも拘らず、未だに仕事の依頼が来ることがあり驚く。 「3月末日をもってクローズします。長い間有難うございました」 今年の年賀状で案内しているのにと、首を傾げざるを得ない。 依頼人は、年賀状が来たことを確認するだけで、メッセージを読んでいないことが解る。 年賀状は、決まりきった文面を印刷したものが殆どである。 だから、私のようにメッセージを書いても、右左(みぎひだり)なのであろう。
依頼を断ると、「そこを何とか」と言って、こちらの都合を無視してくるから始末に悪い。 困ったものだ。 長電話のやりとりで、穏やかだった気持ちが波立ち、その日は一日中不愉快な思いを強いられる。 そっとしておいて欲しい。
年賀状を出さない人が増えてきているようだ。 私が長い間やり取りしていた人も、「今年をもって止めます」と書いてくるのが珍しくなくなった。 確かに、年賀状は出す手間が面倒だし、もらっても決まりきった挨拶文は読む気にもならない。 ただ誰から届いたかを確認するだけで、後はお年玉くじの当選発表を待つだけである。 だから「もうやめた」となるのだろう。 でも、私はそんな年賀状でも、出したいし受け取りたいと思っている。
何十年も会っていない友人知人の消息が分かるし、「元気ですか」の一言でも添え書きがあるとぬくもりを感じていいものだ。 だから、私は通り一遍の挨拶文は書かず、その時その年の思いをメッセージすることにしている。 そして一言、手書きを添えるようにしている。 因みに、今年は年賀状で事務所クローズを知った友人から、電話があった。 県外に住むその男も、年賀状には必ず手書きで添え書きをしてくる。
私が税理士試験の受験勉強をしていたとき、経理学校で簿記会計を教えていただいた先生は、とても熱心で人気があった。 先生のご自宅へ、受験仲間と3人で訪れたことがある。 お昼に、近所の店でうな重をごちそうになり、そのあと皆でパチンコを弾いたのが楽しかった。 帰りには、蔵書の中から簿記の本を1冊ずつ、持たせてくれた。 それ以来、先生とは年賀状を40年ほど交換してきた。 ところが5,6年前、先生からの年賀状が来ないので、「あんなに几帳面な方なのにどうしたのかな」と気にしていると、奥様からの葉書が届き亡くなられたことを知った。 亡くなられたのは、今の私の年齢72歳くらいの筈である。 こんなことがあるから、年賀状は大切にしたいと確信した次第である。
3月に入ってから、ある地域の総合経済団体から「今年も例年通りセミナーを」、という確認の電話があった。 そのセミナーは、毎年6月に定例として開催されており、20年以上続けてきたものである。 年賀状で事務所クローズのことを周知したつもりだが、誰もちゃんと読んでいなかったことが解る。 担当者にしてみれば、新年度の計画として立案決済を済ませてしまったのであろう。 長年のお付き合いでもあることから、不本意ながら受けざるを得なかった。 今月(6月)4日間に亘って講師を務めたが、フルマラソンを走り切った後に、「もうひとっ走り」したようで、とても辛かったし満足のいくものではなかった。
さらに、同じような電話が先日かかってきた。 編み物教室を幅広く展開している女性からである。 私は、そこがお免状を出している団体の委員長(?)を、名義貸しみたいなものだが長い間務めている。 それを今年もお願いしたいので、「近々事務所に伺います」とのことである。 この女性も、年賀状のメッセージなど読みもしていないことが解る。 その旨を伝えると、お決まりの一言が返ってきた。 「あら〜まだ若いのに」 うんざりするし、がっかりして、あきれてしまう。 さらに、悪びれた様子もなく明るく言ってくる。 「それなら自宅の方に伺います」 その女性は、何が何でも受けさせることを前提にしか考えていないようで、困ったものである。 自己中心的で思い込みの激しい人は、扱いにくくストレッサーでしかない。 引き受けるのは、これで最後にしたいと、決意(?)している。
2024.6.26
|