リタイア後の日々を堪能している。 毎日が日曜日、仕事に追い立てられることもなく、すべて自分だけのためにある24時間・・・。 何をしようが、何処に行こうが、自分だけの時が流れていく。 心に安らぎを得たおかげで、血圧は安定し、γ-GTP(肝機能検査)が2桁に下がり、体調までもが良くなってきた。 自分だけの贅沢な時間は、あっという間に過ぎていく。
そんな中で、本棚にある蔵書を、気まぐれに取り出し再読している。 今読んでいるのは、矢口高雄の『蛍雪時代・ボクの中学生日記』(講談社)である。 矢口高雄は私にとって、「好きな漫画家BEST5」にランクインし、67冊を愛蔵している。 中でも、この『蛍雪時代・・・』は特に好きな作品で、何度読んでも新鮮かつ感動的で、このたびもティッシュをそばに置いて、全5巻を読み終えた。
矢口高雄(本名・高橋高雄)は、秋田県の東南部、岩手県に隣接する秋田県雄勝郡西成瀬村狙半内(さるはんない)字中村で、昭和14年に生まれた。 「見上げれば山 見わたせば山 山山山・・・ 奥羽山脈の山ひだ深く分け入った戸数七十戸ばかりの集落」で、魚を釣り、蝶を追っかけ、手塚漫画に夢中になって、元気一杯で育った。 貧しい農家の長男として、懸命に畑を耕し田植えをし、家計を助けた。
そんな中にあって、中学校の成績は優秀で、クラス委員長に生徒会長にと活躍した。 そのリーダーシップには目を見張るものがあり、生徒会主催で、黒澤明の「七人の侍」の上映会をやってのけた。 学校には野球のグローブも満足になく、それを生徒会で何とかしようと映画会を思いつき、それを現実のものとして大成功にしてしまう。 この映画は、昭和29年封切りの超大作で、私は邦画の最高傑作と位置付けている。 そんな作品を、テレビは勿論、ラジオでさえ珍しい山奥の農村にあって、観ようというのである。 中学生たちが知恵と情熱をもって、学校や映画館主の理解と協力を得て、実現させてしまった。
他にも、さまざまのことをやってのけた。 校門がないといって、校長の自腹で建てさせてしまう。 有意義な夏休みにするため、村民あげての盆踊り大会を企画し、しかもオリジナルの盆踊り歌、「成瀬音頭」まで作って実現してしまう。 生徒たちは、日頃から農作業に駆り出されて、誰もが自慢の野菜や木の実を作っているが、それを持ち寄って「ホームプロジェクト展」と銘打って、品評会を実現してしまう。 修学旅行にあっては、家が貧しくて参加できないクラスメートのために、建設現場の土台石を河原から運ぶという、アルバイトまで皆でやってしまう。 自校のグラウンド用地に決まった、草茫々の畑を自分たちで整地し、その完成記念に「陸の祭典」と称して、仮装行列どころか聖火リレーまでやってしまう。 どのエピソードも、感動的で涙なしには読めない。
さらに、感動感激の切り札が、次のエピソードである。 著者の矢口高雄は家が貧しく、中学を卒業したら東京に出て就職するしかないと思い、履歴書の写真まで準備していた。 ところが、高校入試願書締め切り前日の夜、大雪の中を8キロも歩いて担任の小泉先生が矢口の家へやって来て、両親に高校へ進学させろと熱心に説得するのだった。
先生「タカオ君を是非高校に進学させていただきたいのです!!」 父親「どう逆立ちしたっておらの家には学校さなんか入れる金はねえだ!!」 先生「タカオ君はホントに良くできる子です。中学だけで終わらせるのが私には残念でなりません!!」 父親「そんなに残念なら……先生が入れてくれたらいいべ!!」 母親「おとう!! 先生はタカオの将来のことを思ってわざわざきてくれたんでねえか……」 先生「タカオ君はナイーブな子なんです。失礼を承知でこうやってお邪魔したようなわけで」 父親「先生ちゅうもんは勉強を教えるだけでいいんだ。よけいな知恵をつけて妙な風波を立てねえでくれ!!」 矢口「とうさんそんないい方ねえべ!! こうなったらいわせてもらうだ!! おら高校さいきてえ!!」 父親「ダメだ!! そんなゼニどこさある!!」 母親「おとう……アカの他人がこんなに熱心に心をかけてくれてるんだ。それでも「うん」といわねえのなら……おら一人でだって入れてみせる……!!」 先生「これで決まりだな!!」 矢口「先生!!……」
昭和20年代という時代背景を考慮しても、小泉先生の熱血さは「スゴイ!」としか言いようがない。 タカオ君、小泉先生に出会えて本当に良かったね。
矢口高雄は、村で初めて高校を卒業し、その当時エリ−トと言われる銀行に就職した。 そして昭和45年、31歳で念願の漫画家として、プロデビューを果たした。 『釣りキチ三平』 『マタギ』 『幻の怪蛇バチヘビ』 『おらが村』 『ふるさと』 『オーイ!!やまびこ』 『9で割れ』 その他多くの作品がある。
2024.7.6
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