■ 落語家桂枝雀の壮絶な人生論2024.12.4


NHKBS1で、「おとなのEテレタイムマシン」と称して、1985年に放送された「わたしの青春ノート桂枝雀」の再放送があった。
アナウンサーを介して、男女二人の高校生を相手に話す二代目桂枝雀が、寄席同様に身振り手振りで自分の来し方を熱心に話す姿に、思わず引き込まれてしまった。
桂枝雀は中学3年で父親を亡くし、定時制高校を経て神戸大学文学部に進んだ。
1年で大学を中退し、「学校の先生になれ」という母親の期待に反し、落語の世界に入った。
そんな放送の中で、桂枝雀自身の信条=人生論が披歴されているが、そのすごさに大いに考えさせられた。
3つのことが語られている。

一つは
「人間というものは、掛けた時間分しか成果は表れない」

キャッチボールをしていると、見た目は軽いボールのようだが、受けてみると随分重いので驚くことがある。
話している本人が落語家さんなので、軽く受け流してしまいそうだ。
ところがどうして、なかなか重い言葉である。
限られた貴重な時間、それをいかに大切に活かしていくか。
その積み重ねが、今の自分を作って来たし、この先の自分を作り上げていく。
今あるこの時間を、あだやおろそかにしてはいけない。

二つは
「人に決められた輪の中でただウロウロしているよりも、ここから外へ出られないと分かっていても、そんな輪の中には入ってられん。
大きい輪か小さい輪か知らんけど、少なくとも自分の能力分だけは返ってくるような輪の中で走っていたい。」

自分の能力が返ってくる輪……
なかなか意味深な言葉である。
自分が努力し獲得した能力を充分受け止めて、それに応じた理解を示してくれる世界で頑張ってやっていきたい、というようなことだろう。
努力のし甲斐がある落語界で精一杯やるぞ、との決意表明と受け取った。
自らの生涯を通して頑張れる仕事と出会えることは、何と幸せなことだろう。

三つは
「どこまで行くか分からんけど、一日自分の頭の中で知ってるプラス方向へ矢印を一コマでも進めておくのが姿勢だ。
だから一日何もせず、一コマも進めないでいるのは耐えられない。
ゴールがあれば、今日休んでも明日二コマ進めばいい。
ゴールがないから、その駆け引きは出来ない。」

プラス方向へ一コマでも進める……
努力にはこれでいいということはない。
一日一生と覚悟し、日々努力することの大切さを教え知らしてくれる。

そんな桂枝雀だが、重いうつ病で59歳のとき自ら命を落とした。
残念この上ない。
命を絶つ前に少しの余裕を持って欲しかった。
車のハンドルは少しの遊びがあるから、スムーズな運転が出来る。
私のように70点主義とまではいかなくても、せめて90点の生き方をして欲しかった。
100点をめざしても、90点で「まあ〜いいか」という、妥協をして欲しかった。
己に厳しかった落語家桂枝雀の、ご冥福をただ祈るばかりだ。

2024.12.4




CGI-design